小学生のmisan

小学校では入学当初、

知っている子は保育所時代の友達(10人くらい?)と

お兄ちゃんの友達の妹だけでした。

しかも一緒の保育所だった女の子は私を入れて2人でした。

 

いま考えればすごく孤独なスタートだった気がします。

でも当時はあまり記憶がないこともありますが、

特に何も考えていなかったと思います。

幸いにも2個上のお兄ちゃんがいたので、

お兄ちゃんの友達の妹が何人かいました。

 

小学校に入る少し前に、お兄ちゃんも通っていた公文に

通いたいと言い始め公文に通っていました。

(何度か辞めたいと思いましたが、結果的に高3まで続けました)

公文での勉強が身についていたのか、学校での勉強に関しては

特に困ることはなく楽しかった記憶はあります。

 

ドッジボールをしたり、遊具で遊んだり、

定規戦(ペンと定規を使って、定規を落としあうみたいな遊び)で遊んだり、

そんな感じで休み時間は過ごしていました。

人間知恵の輪にハマってた時期もあります笑

(1人鬼を作り、数人で手を繋いで回ったりくぐったりして

 鬼がそれをほどいていくみたいな感じのゲームです)

 

うちの小学校は6年生で鼓笛隊をやるのですが、

指揮者や大太鼓、小太鼓やベルリラ、シンバルなどは

オーディションで決まる方式でした。

それ以外の子は鍵盤ハーモニカ担当になります。

私は鍵盤ハーモニカがやりたくありませんでした。

やりたくないというかピアノなんて弾けない自分が

鍵盤を見ないで演奏することは不可能だと思っていました。

しかも真夏の運動会などで、歩きながら演奏をして

隊形を変えていくので重くない楽器がいいなぁと思いました。

そんな楽をしたい私が考えて、オーディションを受けた楽器が

タンバリンでした。そしてオーディションに無事受かりました。

今考えても、我ながら良い楽器を選んだなぁと思っています笑

この頃から「努力」というものを本当に嫌っていたと思います。